イタリア車は、どうしてそんなに個性的でかっこいいのか?!
Vol.001 


イタリアのとある車雑誌のインタビューに、カーデザイナーの大御所、あの「ピニンファリーナ」氏がこう答えていました。

「第二次世界大戦後、イタリアは非常に貧しく、アメリカのように高層ビルを建てる資金を持つ企業などほとんどなかった。しかし、北イタリアには、多少の資金的余裕を持つファミリー企業がたくさんあり、彼らは、自分のオフィスや家の家具・装飾品などのデザインを、建築家たちに依頼した。
この手の人たちは、趣味に近い感覚で注文を出したので、建築家たちも、かなり自由に仕事をする事が出来た。デザインの対象が個人であったために、使い手の顔がはっきりと見える。クライアントの暮らし・嗜好性をじっくりと捕らえてデザイン出来るという所が、現在のイタリアンデザインの基礎を作り上げ、裾野を広げたようだ。車に関しても同じ事が言える。
人とは違う、自分だけのオリジナルの車を職人たちに作らせ、数々のデザインを世に送り出した。そういった状況の下、今のカロッツェリアは生まれ、発展していったのだ。」

なるほど! 一理も二理もある話ですね!
人とは違う、自分だけのオリジナリティーを追及し、クリエイターも独自の美意識を発露させる!独創的で稀有なモノは、出てくるべくして出てきたという気がしますね!とにかく、そんなイタリアのカロッツェリアには憧れてしまいます!

イタリアには、ピニンファリーナを初め、イタルデザイン、ベルトーネ、ミケロッティなど、たくさんの優れたカロッツェリアがありますが、何といっても、私が一番好きなのは、ザガート(Zagato)なのです!
好き嫌いがはっきりと分かれるほど、エグくて、個性溢れるデザインセンス!その感性が、私には、なぜだかピタリとはまってしまうのです!
最近まで、そのザガートが作り出した、アルファロメオ最後のFR車、ザガートRZ(ロードスターザガート)を所有していました。

まるで、猛獣が、今まさに獲物に飛びかかろうとしているような、とてつもないデザイン!イタリアでは、「イル・モストロ(Il Mostro)」= 「怪物」と呼ばれていました。
アルファロメオ・ES30型“SZ”をベースに製作されたこの車は、官能的なアルファの V6 3リッターエンジンを持ち、しかも、屋根がオープンできる!
ブレーキが、ほとんど効かないこと以外、何の文句もありません!(エアコンからは、涼風がちょっとだけ出るサービスつき)
よく曲がり、軽くて、まるでゴーカートみたいでした!残念ながら手放しましたが、機会があれば、今度は屋根のついた、SZ(スプリント・ザガート ES30)を手に入れたいと思っています!
では、なぜ、それほどまでに、ザガートが好きなのか?!


ザガートのデザインは、10年以上先を行っていると思います。ザガートの新作を見ると、まず、その奇抜さ、大胆さに度肝を抜かれ、これまでの自分の経験にないデザインに、ただ、ためらうばかり…。
しかし、眼力のある人や10年後の人々には、先進性とスタイリッシュさを感じさせるのです!だからこそ、ザガートの車は、時代を超えて輝いているのです!只今流行っているデザインに嫌悪感さえ感じる私にとって、時と共に、じわじわとその良さが伝わっていく類のスタイルは、大歓迎!自分自身も、「後から評価がついて来るような仕事をしたい」と、常日頃思っています!(周りの人から、「訳の分からない事をしている」などと言われるのが、逆に嬉しいのでした。)
私の好きな車の源流を辿るときに、やはり外せないのが、1970年代中頃、日本中を席巻した「スーパーカーブーム」
現在、30代半ばから40代の多くの男子に、トラウマを作ってしまったと言っても過言ではないでしょう!当時、ほとんどの子供たちが、「カウンタック」「ミウラ」「512BB」「ディノ」「ロータス・ヨーロッパ」「ランチア・ストラトス」と声高に叫ぶ中、私は、普通の子供にウケない車ばかりが好きでした!アルファロメオの「TZ2」、フェラーリの「3Zスパイダー」、フィアットの「125GTZ」などなど。

人と違う事に喜びを感じていたのでしょうか?!或いは、自分の美意識によっぽど自信があったのでしょうか?!とにかく、みんなの嗜好から外れていても、ぜんぜん平気なのでした!ところが驚く事に、その変わった車たちは、すべて、カロッツェリア・ザガートの手によるものだったのです!ずいぶん後になって知りました。アストンマーチンの「DB4」にときめいたのにも、ちゃんと訳があったのです!それ以来、ザガートという名前やZのマークに、ますます強く惹かれて行くようになりました!

そして、「RZ」に乗るだけでなく、実際にザガート社に行ってみたいと思っていた矢先、チャンスが、遂に訪れました!1999年の11月末、「極楽イタリアーノ」の取材で(詳しくはプロフィールを)、ミラノに滞在していた時、当サイトのスタッフ、ピッコロ松尾くんに、一人の青年を紹介されました。彼は、デザインの勉強のために日本からやって来た20代前半の若者なんですが、どう見ても、20人位の部下を持ってそうなオジサンの様なルックス。
しかし、その見た目とは裏腹に、実直でまじめな性格。聞けば、OZホイール社で、デザイナーをやっているらしい。「夢は、日本人初のアルファロメオのデザイナーに成ること」という彼には、ザガートへの、つてがあると言うのです!「明日行けるように、電話しときます!たぶん大丈夫です!」とあっさりとした答え!これは、夢か真か本当か?!「ザガートに行ける?!」その日はもう、まるで遠足の前日!嬉しくて眠れませんでした!


翌日、ミラノの中心地、チェントロから、アウトストラーダ(高速道路)に乗って、約30分。テラッツァーノ・ディ・ローという町の、のどかな住宅街を走り、最後に、舗装されていない凸凹の小さな道を通って、やっと到着!

「えっ?ここが…。」
思っていたよりも、かなり長閑な風景でした。

ザガート、SZデザイン社
「ここが、憧れのザガート!」

ザガートは、1919年に、ウーゴ・ザガートによって、ミラノ郊外に設立されました。創業以来、アルファ・ロメオと深い関係を持ち、空力を考慮して作られたボディーは、軽量で、スタイリッシュ。レースでも大活躍したのです。

本当にザガートですよ!かなり嬉しい!
ザガートのチーフデザイナーは、日本人の原田則彦氏。昨日の今日で訪問した我々のために、貴重な時間を割いていただいて、ありがとうございました。

さてさて、私たちをザガートに橋渡ししてくれた青年、小田桐 亨(おだぎり とおる)さん。彼は、なんとその夢をかなえ、日本人初の、アルファロメオのデザイナーになったのです!
フィアットグループの若手デザイナー育成プロジェクトに参加し、そのチームで、1999年のボローニャ・モーターショウへ参加。共同製作した「チェンタウル」を出品し、その功績が認められ、晴れて、チェントロ・スティーレ(アルファロメオのデザインスタジオ)に採用されました!
すごいぞ!すごいぞ!これから、唸るようなデザインを生み出してくださいね!アルファロメオの新しい歴史が始まりそうです!